先日、父の日だったということで、娘から紙飛行機型に折りたたんだ手紙をもらった。そこには、私のイラストと、最近めきめきと腕をあげているひらがなで、
「ぱぱいつもありがとう」
「だいすきだよ」
と書かれていた。
「娘ちゃん、ありがとう。パパとっても嬉しいよ」
妻に言われて、わけも分からないで書かされたに違いないけれど、嬉しさにはなにも変わらない。日頃の不遇なわが身が報われた気がして、思わず涙がにじんだ。
次の娘の言葉を聞くまでは。
「うん、で、お礼は?」
お礼?ありがとうって言ったけどな。まあ、もう一回言っておくか。
「そうじゃなくって、おーれーい!」
娘の、まっすぐに伸ばした手のひらと曇りのない瞳には、『誠意っていうのは、言葉じゃなくてモノでしめすべきだよなあ…?』という意思がこもっていた。
モノ、モノか、そんなもの当然用意していない。
「いやあ~パパ、なにも持ってないなあ。どうしようかなあ~」
たちまち不満そうになる娘。そこに、救世主(妻)が現れた。
「娘ちゃんが、いま、パパにいつものお礼をしたんだよ。お礼のお礼なんてないよ」
ナイス妻。大人になれば、内祝いやらお返しやら、お礼のお礼をしなければならないシチュエーションはいくらでもあるが、5歳の娘はまだ知らなくていいことだ。
「ええ~」
そこで、はたと思いだした。今年の2月、(妻が買ってきてくれた)チョコを娘から受け取って、ホワイトデーの時に妻にバウムクーヘン、娘にゼリー菓子を渡したのだった。
きっと、娘はその時の記憶があって、なんかの記念日にパパにプレゼントを渡す→パパからお返しをもらえる、とインプットされたのだろう。なおも不満そうな娘の顔を見ながら、近いうちに二人にシュークリームでも買って帰ろう、と心に誓ったのだった。